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こども英語・図工クラブ Jumping Kids

静岡県三島市のちょっと珍しい英語・図工クラブのブログ &子育て・アートなどなど

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“栄光の架け橋”でお馴染み?!の冨田洋之准教授に会えました!

私は小学生以来の器械体操ファンなのですが、

その中で、もっとも好きな選手の一人、

アテネ五輪金メダリストの
冨田洋之選手(現・准教授)が
静岡県三島市の順天堂大学の文化祭に
トークショーでやってきました!

あの冨田選手が来るなんてすごいことなのに、
あまり周知されてなかったのようで、

簡単に前列のセンター席を取れてしまいました!

てっきり講演会かと思ったら、
最初から、会場の質問に答える形式で、

私も質問し、答えてもらえました。

テレビで見る通りの方で、黙々淡々とされていて、常に平常心、見た目もそのまま、とても嬉しくなりました。

私が質問したのは、

「体操はかなり低迷していたところから、28年越しにオリンピックで金メダルをとれるまで復活されたのは、どんなモチベーションがあったのか?」
と言ったことでした。

淡々と、当時のことを順に話されて、

・コーチ陣がまず旧ソビエト連邦を視察に行った。
・やってる事は特別に感じなかった。
・旧ソビエトは日本が強かった時に視察し、
それを行っていた。
・日本はどこか慢心になっていた。原点回帰。
(ここまではテレビなどで聞いたことあり)

・いきなり金メダルに返り咲こうと考えていなかった。現状を打破しようとしていた。
・実際に、アテネ五輪で金を狙いに行こうと決めたののも、実は前年。
(世界選手権で団体三位とれ1位ともすごい差でなかったから)
・選手たち側が、熱くて、ぜったい日本を1位にしてやろうと長年狙っていたとかでなく、監督・コーチ・選手のチームとして、目の前のやるべき課題に取り組んでいた。

その他
・座右の銘は初志貫徹
・支えはコーチや選手仲間
・体操、最初は友達と一緒に始めた、あまり好きではなかった。
・順天堂大学の体操部の良さは、自主性。
型にはめずに、いろいろなアイデアの転換。
ルールの枠を越えて、人に感動させる動きを見据えてやる。
体操マニアのような人が多く、引退後、教員になり、それらを伝えていっている人多い。

・指導にあたり、気を付けていることは、人により捉え方が違うので、いろいろ試して、リアクションを観察。伝えるタイミングを考えている。
注意の仕方も、ピンと来る人、来ない人いるので、同じことでも言葉を変える(例えば、背中を丸く→胸を丸く)

・挫折したことは? ケガなど。ただ、例えば足をケガしたら、足を使わない種目を強化する時期と捉えた。(基本淡々とされてる。挫折!という感じすらない感じ)

・ゆずの栄光の架け橋と自分の演技がリンクして解説されたことについて→演技中はもちろん曲がかかっていないので、後で知った。
栄光の架け橋がかかると仲間選手が「お前の曲」というので、「おれの曲」という() テレビで曲がかかると娘が「パパが出てくる」という。

・体操選手あるある→高校生の時、リフティングでボールを蹴る足先が伸びていると言われた。
娘が空手をしていて、教えようとしても、蹴り上げる時に、足先を丸める癖があり、できない。

・ライバル鹿島選手とのエピソード
→自分は8歳で始めたが、鹿島選手は3歳からやっており、入ったときからクラスが違った。中学生の時に全日本選手権に出て金メダルを取っていた。(当時はその凄さもよく分かってなかった) 鹿島は人が良いので、聞かれたら、やり方など教えていた。自分が他の選手を凄いと伝えると、お前の方がうまいよ、と言ってくれた。
高校では別になったが、その時も、鹿島ならこれくらいは練習しているだろう、など意識していた。

すごく淡々と普通のことかのように、
あったことを話されるので、すぐにキラーンと感動した!と言うことはなかったが、

今から思い出して、ジワジワと素晴らしさがよみがえってきました(T-T)


*私のもっとも好きな選手は三人。
冨田洋之選手、ビタリー・シェルボ選手、スベトラーナ・ボギンスカヤ選手
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