-
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
-
12月15日に毎年恒例のクリスマスパレードを近所の商店街の
ご協力を借りて行いました。
今回は、ハロウィンパレードで絵本を発表しなかった高学年と小2新人
クラスに頑張ってもらいました。
・ベテラン小学生混合クラス ”Let's Find the Family" at カフェハピネス
・新小2クラス ”I See Black Santa" at 呉竹
・中学年クラス(新メンバー加入後初) ”The School Heroes" at 木陰治療院
また、クリスマスインタビューとして、
英語が得意でいらっしゃる
割烹料理屋の社長さんとマッサージ院の院長先生に、
マイクを持って突撃英語インタビューもしました。
お天気にも恵まれ、今年もほのぼのと終了しました♪
【パレード協力店】
第一部
イタリアンレストランCaro様
カフェハピネス様
フォトライフシェルパ様
スタイリングルームON様
やまがた楽器店様
フレンチカフェレストラン レスカリエド三島様
割烹呉竹様
山幸木蔭治療院様
第二部 カードのお届け
ミシマトイス様
ミシマヤスポーツ様
クマノミ雑貨店様
ぐるっぺ様
千歳屋様
ボナペティ様
ステラ様
蕎麦宗様
パレード後に、
ご参加くださったお店にお礼のあいさつへ行ったところ、
子どもたちが贈呈したクリスマスカードがすでにお店に飾られており、
ジーンとしました!
PR -
実は、2016-18年くらいまで、
重度の不眠症でした(‥;)
なんとか生還しました。
結構壮絶でした(T-T)
その過程を今から書きます。
まず、もともとは
“眠れない“のが理解できないくらい正常で、
生理前は眠くて眠くてと言った具合でした
始まりは、2016年の4-5月頃、
咳型の喘息になり、
特に夜中から明け方の咳が酷くて眠りにくくなりました。
その頃は、眠りというより、
喘息がきつい…と思っていました(‥;)
その頃、
親族の中では、一番尊敬していた義理のお父さんの病気が段々悪化し、
関西にお住まいですので、
静岡と関西を例年より多く行ったり来たりしていました。
そして、9月下旬の金曜の午後に亡くなられました。
(亡くなる直前まで時間を気にされていたようで、一報が入った時間は、
丁度子どもたちの学校が終わる頃で、翌日から土曜と、たぶん周りの人が県外に住んでいることから、タイミングを選ばれたように思いました。)
そこから、関西に移動し、お通夜葬儀、生前にしっかり準備されており、かつ長男ご夫婦もしっかりされており、とても立派で心ある家族葬でした。
とても悲しかったけど、やりきった、生ききったという、爽やかさや感動も感じられるものでした。
そして、静岡に帰ると、
時期的にお教室のハロウィーンパーティーと発表会があり、
ちゃんとやりきろうと思い、いつも通り頑張りましたし、子どもたちの努力と成長も素晴らしく感動しました。
異変に気付いたのは、
その発表会が終わってから、
頭が真っ白で、何もやる気が起こらない。
そうこうしているうちに
咳型喘息がまた悪化し、
夜中の咳もひどくなり、病院で薬をもらい、
治まっても、
眠れない、体が眠り方を忘れたか、
間違えてしまっていて、
布団に入ると、アドレナリン全開?!
とても眠いのに、少しも眠ることができない、
夜だけでなく、昼間も、
どれだけ眠くても、
横になると、気が張って全く寝付けない、
という症状に(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)
これが一ヶ月、二ヶ月、三カ月とどんどん続き、
もはや夜が怖い、
朝の新聞投函の音を聞いて絶望するという
日々が続き、
情緒も完全に不安定、
たぶん躁うつ病状態だったと思います…。
結果、人付き合いでも変なトラブルを抱えがちに。
もう更年期障害かなあ、
と思い、それ系の漢方も飲みましたし、
女性には辛いのですが、
眠れないと、目の下のクマ、ほうれい線がでて、
40代にして、おばあさんみたいな顔になりました(°°;)
それも気にして、
コラーゲンサプリメント、プラセンタ注射(不眠症状にも良いらしい)、にんにく卵黄、
もちろんいろんなの漢方(半夏厚朴湯、双参、その他)、西洋系の睡眠導入剤も飲み、
良くなるためには、なんでもやってやろうと思い、毎日8種類はとってたし、
朝ご飯に15時間後に睡眠系ホルモンがでるという生卵、あと食事に胸肉もよいとのことでとったし、
寝る前はストレッチ、
不眠で皮膚がデリケートになっていて、
市販の化粧品が信用できなくなり、
自分で化粧品を作りはじめ、
自律神経を整える電気治療つきマッサージ、
経絡ツボ押しマッサージエステ、
運動が足りないし、暗い気分をはねとばせるかと、
ラテンダンスを始め(先生も生徒さんも良くて、楽しいけど、体調が悪いので、ターンのたびに吐きそうになりました(;^_^A)
もう、やけくそ、なんでも、やりましたよ。
不眠症、躁うつ状態でも、
活動力はあるんですね、私(;^_^A
「こんなにやっているんだから、私!」と思うことで、安心を得てた部分も☆
その時期は、
眠れなくて、どんなに背筋を気を付けても、
酷い猫背になり、
呼吸もびっくりするくらい浅く、
少しウトウト眠れたかと思ったら、
呼吸が止まって、苦しくて起きることも(°°;)
以前、タレントさんが飲用し居眠り運転を起こした
例の睡眠導入剤ベルソムラも常用してました。
導入剤の中では気に入りましたが、本当に酷いときは全く聞きませんでした。
こんな状態のピークは半年から一年、
二年目から徐々にましになってきて、
でもまだまだきつくて、
三年目には不安が残る感じ…
という感じ
この時期は、
信頼してた人が意外と去って行ったり、
逆に、新たな仲間や助けてくれるひとも登場しました☆☆☆
不眠症克服したと思う今でも
、体質が変わったのか、生理前は眠れない日があるのが定番になりましたが、
睡眠や美容のたくさん知識を身に付けました♪
私の場合、
不眠症克服に特に役立ったのは、
・手足顔+頭の経絡ツボオイルマッサージエステ
・抑肝散加芍薬黄連(カネボウの漢方)
・金沢市の上野医院の院長さんの丁寧な聞き取りと力強いアドバイス
(その頃の私は、スピ方面に頼りがちで。それはそれで良いんだけど、この方は全く西洋医学、客観的、学術的、でもそれがその時は安心できた。
見てもらえたのは、金沢市滞在中、年末前の3-4日のみだけど、その辺りを堺に、快方の糸口が見えてきた。今でも体質的には東洋医学があってるのですが…)
心の支えになったのは、
ラテンダンスとメンバー
漢方屋さん
経絡エステの社長さんとエステティシャンさん
小学校の読み聞かせ活動の仲間
近所の内科クリニックの先生
同じく不眠症になったことがある方
家族
などです。
どんなに絶望しても、
明けない夜はないっ!(←不眠症の時は、夜が明けていくのが怖かったので、矛盾?!心の闇のイメージの夜です(;^_^A )、数年の辛抱。
体と心は温めるよう心がけよう。
むしろ、悪いものはでて、良いものが厳選されるチャンスなのかもしれません(´▽`)ノ
-
身には新しい衣装(こうもり)と軒上には新しい魔女の人形。
今年もジャンピングキッズの絵本披露とトリックアトリートの旅へ。
台風が来たり去ったりの日々の中、雨の切れ間に向かうため、
いつもと並び順を変えたり、安全対策重視で出発。
目的地はもちろんおなじみの地元町内会商店街!
カフェ ハピネスさま
今年はチョコレートすくいとお菓子セットをご準備くださりました!
お礼に、ベテラン小2が作成した飛びだす絵本"Magic Mirror World"を自ら朗読。
ポイントは鏡の世界を表現するため、紙に鏡シートを貼ったこと。
フォトライフ シェルパさま
レスカリエド三島さま 手作りフィナンシェをご準備くださりました
呉竹さま 社長が堪能な英語でこどもたちを相手してくださいます
こちらでは、今年入会したばかりの小1女子たちが自作”Haruka, Mimika, and Sora's Ghost Castle"を朗読しました。女子力高め。
やまがた楽器店さま
スタイリングルームONさま
木陰治療院さま 今年もキャンディーレイにしてくださり、こどもたち一人ひとりにかけてくださり、また毎年お渡ししているカードや写真をコルクボードにまとめて見せてくださいました。
飲食店などではどうしても読ませることができなかった、
年長男子たちのデビュー作”Poop man walks around" (うんちマン歩き回る)を朗読しました。
今年で三冊目になる年長&年中ペアも”From Summer to Halloween"を朗読しました。
土屋歯研さま
あたりはすっかり暗闇。
最後に恒例の、蕎麦宗さまの手作りジャコランタン争奪じゃんけん大会。
今年は、10月に入会したばかりの年少さんが優勝しました
https://www.pictame.com/media/2166107795215503203_11523357520#media-3
-
https://www.pictame.com/media/2166107795215503203_11523357520#media-3
https://www.instagram.com/p/B4Pj5AvBk9j/?utm_source=ig_web_copy_link
毎年お教室のハロウィンのために、板前の美しい包丁さばきで、ジャコランタンを製作して寄贈してくださる蕎麦宗さん。その製作過程をご自身のインスタでUPされていました美しさを追求する宗さんはカボチャの底をくりぬかずに、中のワタを口からスプーンで掻き出されていたとのこと。衝撃画像です -
私は小学生以来の器械体操ファンなのですが、
その中で、もっとも好きな選手の一人、
アテネ五輪金メダリストの
冨田洋之選手(現・准教授)が
静岡県三島市の順天堂大学の文化祭に
トークショーでやってきました!
あの冨田選手が来るなんてすごいことなのに、
あまり周知されてなかったのようで、
簡単に前列のセンター席を取れてしまいました!
てっきり講演会かと思ったら、
最初から、会場の質問に答える形式で、
私も質問し、答えてもらえました。
テレビで見る通りの方で、黙々淡々とされていて、常に平常心、見た目もそのまま、とても嬉しくなりました。
私が質問したのは、
「体操はかなり低迷していたところから、28年越しにオリンピックで金メダルをとれるまで復活されたのは、どんなモチベーションがあったのか?」
と言ったことでした。
淡々と、当時のことを順に話されて、
・コーチ陣がまず旧ソビエト連邦を視察に行った。
・やってる事は特別に感じなかった。
・旧ソビエトは日本が強かった時に視察し、
それを行っていた。
・日本はどこか慢心になっていた。原点回帰。
(ここまではテレビなどで聞いたことあり)
・いきなり金メダルに返り咲こうと考えていなかった。現状を打破しようとしていた。
・実際に、アテネ五輪で金を狙いに行こうと決めたののも、実は前年。
(世界選手権で団体三位とれ1位ともすごい差でなかったから)
・選手たち側が、熱くて、ぜったい日本を1位にしてやろうと長年狙っていたとかでなく、監督・コーチ・選手のチームとして、目の前のやるべき課題に取り組んでいた。
その他
・座右の銘は初志貫徹
・支えはコーチや選手仲間
・体操、最初は友達と一緒に始めた、あまり好きではなかった。
・順天堂大学の体操部の良さは、自主性。
型にはめずに、いろいろなアイデアの転換。
ルールの枠を越えて、人に感動させる動きを見据えてやる。
体操マニアのような人が多く、引退後、教員になり、それらを伝えていっている人多い。
・指導にあたり、気を付けていることは、人により捉え方が違うので、いろいろ試して、リアクションを観察。伝えるタイミングを考えている。
注意の仕方も、ピンと来る人、来ない人いるので、同じことでも言葉を変える(例えば、背中を丸く→胸を丸く)
・挫折したことは? ケガなど。ただ、例えば足をケガしたら、足を使わない種目を強化する時期と捉えた。(基本淡々とされてる。挫折!という感じすらない感じ)
・ゆずの栄光の架け橋と自分の演技がリンクして解説されたことについて→演技中はもちろん曲がかかっていないので、後で知った。
栄光の架け橋がかかると仲間選手が「お前の曲」というので、「おれの曲」という() テレビで曲がかかると娘が「パパが出てくる」という。
・体操選手あるある→高校生の時、リフティングでボールを蹴る足先が伸びていると言われた。
娘が空手をしていて、教えようとしても、蹴り上げる時に、足先を丸める癖があり、できない。
・ライバル鹿島選手とのエピソード
→自分は8歳で始めたが、鹿島選手は3歳からやっており、入ったときからクラスが違った。中学生の時に全日本選手権に出て金メダルを取っていた。(当時はその凄さもよく分かってなかった) 鹿島は人が良いので、聞かれたら、やり方など教えていた。自分が他の選手を凄いと伝えると、お前の方がうまいよ、と言ってくれた。
高校では別になったが、その時も、鹿島ならこれくらいは練習しているだろう、など意識していた。
すごく淡々と普通のことかのように、
あったことを話されるので、すぐにキラーンと感動した!と言うことはなかったが、
今から思い出して、ジワジワと素晴らしさがよみがえってきました(T-T)
*私のもっとも好きな選手は三人。
冨田洋之選手、ビタリー・シェルボ選手、スベトラーナ・ボギンスカヤ選手