"家族のイベント"カテゴリーの記事一覧
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震災の爪痕を巡り終え、残りの1泊は、
福島県にある、国内留学施設の"British Hills"に宿泊しました。
そこでの滞在記の前に、被災地めぐりの感想をまとめます。
まず、東日本大震災は復興が遅いといわれています。
確かに、3年たっても、更地で、良くて盛り土の工事。
ただ、道中たくさんの工事車両やパトカーとすれ違いましたし、
人は一生懸命動いていると感じました。
当たり前のように、更地を見ましたが、
あれだけでた瓦礫を、(福島の原発避難区域以外は)どこもかしこも撤去してしており、
ぽつんと被災したような小さな地区でも、
更地にされ、他と同じように盛り土工事がされてました。
あらためて、日本人は真面目で几帳面だな、と思いました、。
広範囲に深い被害が及んでいるので、時間はかかるけど、前に進んでいっているようです。
ただ、今後一番まずいのは、みんなが忘れてしまうこと。
まだまだ困っている人がたくさんいます。
その上、最近では、いろんな地区で浸水があったり、新しいところでは
広島市で土石流の被害があります。
(私がすんでいる静岡県は、それこそ、大きな地震が来るだろう地域NO.1ですし、
富士山噴火も噂され、全く人事ではありません。。。★)
日本は自然災害が多い国ですし、
お互いに助け合う気持ちを持たないと、どうにもならないと思います。
マナーを守って、お互い助け合う、自然災害は多いけど、
平和な心の国でありつづけて欲しいです。
東北の人々が被災した際に、見せた、模範的な姿をたどりたいです。
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被災地を巡る旅、第3日目は、
大きく移動し、
宿泊した宮城県女川町から、南三陸町、気仙沼、岩手県陸前高田を周りました。
"希望の笹かま”と呼ばれる、
高政という蒲鉾を作って販売しているお店に伺いました。
前夜に、震災の様子を教えてくださった、女川旅館協同組合の佐々木さんの紹介です。
ここは高台にあったため、被災した際も、工場は無事で、救助が遅れる避難者のために
(町役場も流されてしまったため、国への連絡が遅れた)、笹かまを製造・配布し(通常販売している通りの品質だった)、飢えから守ったそうです。
蒲鉾キライな私でも、極め細やかでとろっとした食感で、とてもおいしかったです!
嬉しくて、希望の笹かまストラップも買いました。
持っていると勇気が沸きます。
その後、きぼうのかね商店街という仮設商店街で買い物をし、女川を後にしました。
南三陸町につくと、ニュースで見た、防災対策庁舎がすっと目にはいってきました。
観光バスも並んでいました。
外国人もいました。
建物の周りをぐるっと歩くと、改めて、津波の凄まじさが伝わりました。
その後、南三陸町の仮設商店街、さんさん商店街へ。
被災し広く更地になっているので、目印がなく、逆に、何度も道に迷いました。
到着して驚いたのは、車がたくさん停まっており、お客さんがたくさんいること。
仮設商店街も、デザイナーが絡んで、おしゃれになっており、
被災地の中では、一番盛り上がっているようでした。
NHKのあまちゃん効果もあるのでしょうか。
木くずが地面に敷き詰められたアーティスティックな公園も併設しており、
車での移動に疲れた子どもたちは遊びまくって、元気を取り戻しました。
大人は写真展示室にて、震災の様子や、南三陸町のこどもたちがカメラマンと撮ったという
商店街の大人の写真を見ました。
その後、
うにきらきら丼を食べました。
無添加・新鮮で、甘くてとてもおいしかったです。
気仙沼では、海沿いを走る鉄道が押し流され、被災したホームが道の駅として残されていました。
海沿いは、やはり広く更地になり、重機が入っていたのですが、
内陸側では、そこまでは被災していない市街地もあり、安心しました。
大火事になったあの映像が忘れられません。
被災地としては最後に巡ったのが、岩手県の陸前高田市。
ここが一番まとまって津波に流されたのでないかと、度肝を抜かしました。
入り組んだ海を囲んでぐるっと広く平地が続いており、
ズトンと更地になっていました。
重機がたくさん入り、大掛かりな工事をしていました。
凄すぎて、何がなんだかわかりませんで、
『未来へ伝えたい陸前高田』という写真集を購入しました。
被災前の町並み、地元の祭りの様子、そして、津波で流される様子、
流された後の様子が細かく載っていました。
被災前は、海と松林が美しく、歴史的な蔵もあり、
かといって全国どこの国道や県道でも見かけるような普通の町並みもあり
住んでいる人々も、素朴に、街や祭りを愛しているようでした。
奇跡の一本松は、とてもとても大きかったです。
7万本あった中で1本だけ残ったそうです。
今は津波の潮で根が枯れて、死んでしまったため、モニュメントとして
固めてそのままの形で保存してありました。
観光客と何度もすれ違いました。
外国人ともすれ違いました。
ずどんと更地になった中に、2~3軒くらい、道を挟んで向かい合わせに仮設のお店が建っていました。
一軒は八木澤商店という歴史あるしょうゆやお味噌の店で、
味噌チーズケーキ、味噌パンデロウというスイーツで、賞を取っていました。(とても美味しい)
もう一軒は先ほど写真集を購入した、被災後のグッズを置いているお店。
どちらのお店の方も、温かくて、土地への愛を感じました。
東北は、人柄や物が豊かで優れている印象を持ちました。
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7月29日(火)~8月2日(土)の4泊5日で、
3年前の大震災の被災地を巡ってきました。
勇気がいりましたが、
自分の人生の中でも、大きな意味を持つ旅となりました。
初日は、福島県、
原発事故対応の拠点になっているJ-village(サッカー場)。
こちらは、現在も、運搬や作業の車両の駐車スペースとなっていました。。
富岡町、避難区域ぎりぎりまで
道の駅は休館中で、施設は臨時警察署として利用されていました。。
現在は自由に立ち入り出来なくなった地区の見所が書かれた看板にすら
立ち入り禁止のロープと看板が貼られ、痛いたしかった。
一方で、30年後の故郷に桜プロジェクトという旗もあり、
このまま引き下がるつもりはないという、希望がありました。
ここから先は、通行証を持った関係者しか入れません。
その先に見える町並みは、全国どこにでもあるような大通り。
付近では、山口県警や埼玉県警のパトカー、近くでは静岡市や袋井市のテントもあり、
工事車両、作業員たくさんを載せたバスと、たくさんすれ違いました。
オールジャパンの体制であたっているのが分かりました。
その後、宿泊する、いわき市の小名浜グリーンホテルに向かいました。
途中、四街道という道の駅で、生で食べられるトウモロコシやまるごとトマトのキムチ、
牛タンの角煮とスモークなど買いました。
どれもびっくりするくらい美味しかったです。
小名浜グリーンホテルは、壁など、少し古くなっていましたが、
その分、チーズケーキを冷蔵庫に入れておいてくれたり、
女性には有名メーカ2社のシャンプーとコンディショナーを選んで使ってよかったり、
漫画読み放題があったり、
たくさんの極め細やかなサービスでカバーしており、
とても印象が良かったです。 -
昨日、岡村牧場(朝霧高原)で、月に1回だけある、お肉の販売会に行きました。
以前から友人が絶賛していて、最近では、ご自身のアーティストとしての腕も活かして、
牧場をアピールする協力しているようです。(おしゃれ感がでてた!)
試食もすごくて、12kgのお肉を特注の機械で焼いてました。
美味しいお肉でした。(実は、私は車酔いしてた。それでも美味しく食べれるくらい)
牧場主さんは、牛の育て方にこだわりがあり、
顔が見える範囲で販売したい、とのことでした。
こどもたちは、他のこどもたちと合流し、牧場をキャアキャア遊んで回り、 最後は、みんなでおかたづけ。
素敵で良い人のもとには、そういう人たちが集まるんだなあ。
朝霧高原では、いつも癒されます。
丁度、あさって、お教室でBBQ会を行うので、
モモブロックをメイン食材にしようじゃないか!!(貴重なので、子どもにたかられ過ぎないよう、注意★)
失敗できんぜ。。