忍者ブログ

こども英語・図工クラブ Jumping Kids

静岡県三島市のちょっと珍しい英語・図工クラブのブログ &子育て・アートなどなど

[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

東日本大震災の被災地を巡る旅 第3日目~女川、南三陸町、気仙沼、陸前高田~
       

被災地を巡る旅、第3日目は、
大きく移動し、
宿泊した宮城県女川町から、南三陸町、気仙沼、岩手県陸前高田を周りました。



   "希望の笹かま”と呼ばれる、
高政という蒲鉾を作って販売しているお店に伺いました。

前夜に、震災の様子を教えてくださった、女川旅館協同組合の佐々木さんの紹介です。

ここは高台にあったため、被災した際も、工場は無事で、救助が遅れる避難者のために
(町役場も流されてしまったため、国への連絡が遅れた)、笹かまを製造・配布し(通常販売している通りの品質だった)、飢えから守ったそうです。

蒲鉾キライな私でも、極め細やかでとろっとした食感で、とてもおいしかったです!

嬉しくて、希望の笹かまストラップも買いました。

持っていると勇気が沸きます。

その後、きぼうのかね商店街という仮設商店街で買い物をし、女川を後にしました。

  

南三陸町につくと、ニュースで見た、防災対策庁舎がすっと目にはいってきました。
観光バスも並んでいました。
外国人もいました。

建物の周りをぐるっと歩くと、改めて、津波の凄まじさが伝わりました。
その後、南三陸町の仮設商店街、さんさん商店街へ。
被災し広く更地になっているので、目印がなく、逆に、何度も道に迷いました。

到着して驚いたのは、車がたくさん停まっており、お客さんがたくさんいること。
仮設商店街も、デザイナーが絡んで、おしゃれになっており、

被災地の中では、一番盛り上がっているようでした。

NHKのあまちゃん効果もあるのでしょうか。

木くずが地面に敷き詰められたアーティスティックな公園も併設しており、
車での移動に疲れた子どもたちは遊びまくって、元気を取り戻しました。

大人は写真展示室にて、震災の様子や、南三陸町のこどもたちがカメラマンと撮ったという
商店街の大人の写真を見ました。

その後、
うにきらきら丼を食べました。
無添加・新鮮で、甘くてとてもおいしかったです。


気仙沼では、海沿いを走る鉄道が押し流され、被災したホームが道の駅として残されていました。

海沿いは、やはり広く更地になり、重機が入っていたのですが、

内陸側では、そこまでは被災していない市街地もあり、安心しました。

大火事になったあの映像が忘れられません。


 被災地としては最後に巡ったのが、岩手県の陸前高田市。

ここが一番まとまって津波に流されたのでないかと、度肝を抜かしました。

入り組んだ海を囲んでぐるっと広く平地が続いており、

ズトンと更地になっていました。

重機がたくさん入り、大掛かりな工事をしていました。

凄すぎて、何がなんだかわかりませんで、
『未来へ伝えたい陸前高田』という写真集を購入しました。

被災前の町並み、地元の祭りの様子、そして、津波で流される様子、
流された後の様子が細かく載っていました。

被災前は、海と松林が美しく、歴史的な蔵もあり、
かといって全国どこの国道や県道でも見かけるような普通の町並みもあり
住んでいる人々も、素朴に、街や祭りを愛しているようでした。



奇跡の一本松は、とてもとても大きかったです。

7万本あった中で1本だけ残ったそうです。
今は津波の潮で根が枯れて、死んでしまったため、モニュメントとして
固めてそのままの形で保存してありました。

観光客と何度もすれ違いました。
外国人ともすれ違いました。

ずどんと更地になった中に、2~3軒くらい、道を挟んで向かい合わせに仮設のお店が建っていました。
一軒は八木澤商店という歴史あるしょうゆやお味噌の店で、
味噌チーズケーキ、味噌パンデロウというスイーツで、賞を取っていました。(とても美味しい)
もう一軒は先ほど写真集を購入した、被災後のグッズを置いているお店。

どちらのお店の方も、温かくて、土地への愛を感じました。


東北は、人柄や物が豊かで優れている印象を持ちました。









PR

コメント

コメントを書く